ワヤン大会2005ジョクジャ報告 

Kongres Pewayangan 2005



kongres pewayangan 2005

(9月14日〜18日) ワヤン大会2005は、雑然と賑やかに、時に侘びしく、それでいて高いレベルで、9月14日からの4日間を終えました。
 この大会には思いもよらず、日本ワヤン協会のメンバーをはじめ、友人たちが日本からすべては個々に、駆けつけてくれていて、その数は私の確認できた範囲で40名にも達していました。

 14日夜のハマンク・ブウォノ王宮での開会式には、メイン会場となったガルダ・ホテルから関係者数百人全員がチャーターされたベチャに乗り、一斉に王宮へとマリオボロ通りを練り回して進行しました。ベチャのお兄さんたちはみなお揃いの真っ赤なTシャツを着ていました。
 ハマンク・ブウォノ十世による大会開催の言葉があって、やがてキ・スカスマンのワヤン・ウクル「アルジュノの生涯」がはじまる。5ヶ所の会場で一気にとりあえずはインドネシア全土からのさまざまなワヤンが展開しはじめたのです。
 私たちの影絵詩劇「まぼろしの城をめざす」は第2日目、夜十時開演ということで、ライティングの不備を除けば、まずまずの態勢に漕ぎつけて、一時間十五分をともかくも演じきったのでした。土地の人たちに多少は判って貰いたくてインドネシア語の吹き込みも用意していたのです。おわって大きな拍手をうけ、多くの人から握手を求められ、その中の二人ほどから私は、「ルアル・ビアサ!」=luar biasa の言葉をうけ、少しうれしい気分になったのでした。
  
 17日夜の閉会式では、主催者で、ジョクジャ特別州知事でもあるハマンク・ブウォノ十世への質問、謝辞などをへて、その最後にこの大会を盛りあげた者の代表として、私の名が呼び上げられ、ハマンク・ブウォノ十世から直接、表彰状が手渡されました。その上座に二人が並び、あふれる会場の人たちの行列一人ひとりと握手をかわしながら、この大会の解散の静かなおわりを見守ったのでした。いい経験をさせてもらいました。
 この間、あるいはこの四十年ほどものあいだ、お世話になったあまりもの多くの方々、いまは亡き方々に、ただ感謝です。

 この大会の記事が多くの新聞にでました。ありがたいことに、日本ワヤン協会のこと、積極的に書いてくれていました。
 クダウラタン・ラヤット(9月17日、18日)
 コンパス(9月17日)
 スアラ・ムルデカ(9月16日、18日)
 その他です。

◎お断り このワヤン大会のもう少し詳しい報告は、次号の「ゴロゴロ通信」にゆずりますが、本来なら十月二十九日に発行されねばならないこの号は、準備のため少々遅れることになります。ご了承くださいますように。
                 日本ワヤン協会  松本亮

ワヤン大会の第二報、ジョクジャからです。
ワヤン大会の第三報、ジョクジャからです。
「まぼろしの城をめざす」を見て(チュ・S)
 見事にダランを演じた
 マツモト、40年間ワヤンを学ぶ
ワヤンは日本人に興味を持たれている
一度口から出たことばは…(大和田尚)
ワヤン大会奮見記(熊谷 正)
ワヤン・チャンクマン(中辻 正)
新しくなりつづけるワヤンなるもの(松本和枝)
ワヤン大会へ向けて(松本亮)





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