ワヤン大会へ向けて

松本亮

 終り良ければすべて良し……昔からこんなほろ苦い言葉がある。
それがどうやら輪を掛けてインドネシアにも通用するのである。かつてのワヤン週間の時もそうだったが、今回の大会も準備段階から開催最中まで何がどうなるのか、もやもやのし通しだった。しかも見物ではなく上演を選んだのだ。すべては覚悟の上、ともかく何やらを信じて前に進むしかないと、のんきに構えることに終始した。

 それにしても大会に割って入って出演するなどという大それた誘いを真に受けはじめたのはずいぶん古いことで、五年に一度のジャカルタでのワヤン週間がまともに開かれていた一九八八年、九三年のころ、実行委員会の故パンダン・グリトノ氏から次の大会にはぜひと声をかけられたあたりからである。
 しかしそれ以後、政変や不穏な選挙、爆弾騒ぎが相次いで、インドネシアはワヤン大会どころではなくなったのだ。
 一方、私たちの方は一九九〇年代以降、毎年ほぼ一作の割合で新作に挑戦し、しだいに日本の素材で例えば、影絵詩劇と称して「水のおんな」(長谷雄草子による)、「まぼろしの城をめざす」(御伽草子浦島伝説による)などの上演を試みていた。そのうち、もしいつの日か大会があって、もし可能ならその中で、影絵詩劇の一つを上演してみたい、そんな幻想を抱くまでになっていた。(たんにジャワで単独の公演を打つなどは甲斐ないことなのだ)。
 それに時を経たいまよくよくに考えてみれば、私たちがジャワのダランや見好者たちを前にワヤン上演をするとして、どうしてマハーバーラタやラーマーヤナからの演目を披露することができるだろう。百年、二百年後は知らず、多少格好をつけたところで、まあまあ良かったねと言ってもらえるだけのことだ。ワヤンには千年の歴史がある。ガムランにはジャワ語またジャワ人の血が流れているとは、キ・ナルトサブドの言葉だ。

 さて突然のことだった。
 ワヤン大会が開催されるとのジョクジャからの第一報は、五月半ばすぎだった。しかも大会は旅行シーズンでもない九月半ばとのこと。九月十四日からの五日間である。どうしようか。とりあえずはワヤン見物にとどめようか。舞台上演となれば、準備期間があまりにも短い。全員自費を捻出するしかなく、当然最小限の演者・奏者・スタッフを揃えることは難しい。生演奏はまず不可能である。
 六月初旬に招請状がとどいた。暴挙に違いなかったが、こうしたチャンスは、これを逃せば五年先? 事情がよく呑みこめないままだったが、私は出演承諾の返書を送った。演目は「まぼろしの城をめざす」。ワヤンは語りの芸能であり、そこで何を訴えるかが肝心なのだ。やるとなれば台詞の内容を曲がりなりにも見物の土地の人たちに知ってもらえるようにしなければ、上演の意味がないのだ。いつの日かのため、私は必要最小限のインドネシア語訳はすでに用意していた。
 六月二十五日の渋谷・ラママでの徹夜ワヤンの会を終えて、あれこれ準備をはじめ、七月下旬、とりあえずジョクジャへの小旅行に向かう。私の影絵詩劇は多少の仕掛けも必要だった。とくに照明と踊り。踊り手、それにまぼろしの城にふさわしい大道具探し、さらにメインの小グヌンガン(梯京子さんのデザイン)制作依頼など。
 その間実行委員長に会い、会場の確認をし、上演日を九月十五日と決めてもらう。しかしこの時点で、大会五日間の他のダランたちや日程はまだ何ひとつ決まっていない。プログラムはやはり開会当日を待たねばならぬようだ。そう言えば、結果的にはいつも大変な盛会だったかつてのワヤン週間もそのようだった。
 ここで私はこの大会でのミーティングに登場の要請を受けたのである。この時気付いたのだが、この種の大会はあくまでも大会議場でのワヤンに関する提案、意見交換(本質論から教育、観光問題にまでわたる)が第一義の課題で、舞台上演は派手だが、むしろ付属的イベントにすぎないのだ。打合わせの上私は急遽、私の履歴を含めた「日本におけるワヤンの状況」の草稿を書き、実行委員会に提出した。そこに私は、ワヤンはいまや世界の一流の芸能であり、もはやインドネシア人だけのものでなく、世界人類の所有物だと付言した。後で聞くと、この一文は大会に全国から参加したダランやワヤン研究家、また政府の文化関係者、大学人たちにも広く配布されたらしい。私たちの上演は多くのマスコミに採り上げられたが、その記事にはこの一文からの引用が多く目に付いたのだった。

 私はあえて誰一人ジャワ行きを誘うことができなかったが、自主的に多くの人が手伝いに、見届けに駆けつけてくれた。また閉会式の折り、広い会場の参加者からの相次ぐ質問や発言に対し、主催者としていちいちメモに取りながら、長時間丁寧に答えを返しつづけていたハマンク・ブウォノ十世の真摯な姿が瞼に浮かんでくる。

◎9月15日〔水)

《9月14〜17日、国際ワヤン大会2005ジョクジャ》 ジョクジャ、ホテル・ガルダ南庭メイン会場、演目=まぼろしの城をめざす、脚本、演出、ダラン=松本亮、アシスタント=松本和枝、YUKI、語り=相良侑美、内山彰夫、(インドネシア語)イメルダ・C・ミヤシタ、踊り=ウラン・ルクノワティ、バロン踊り=M・ムスタム、杉田浩庸、宮原理紗、ワヤン制作=中辻正、梯京子、ルジャル、スカスマン、ウォノギリ、カンボジア、マレーシアほか、音楽構成=森重行敏、トランペット=西條隆弘、熊谷有都、琵琶=久保田晶子、笛=森重行敏、音響技術=大和田尚、制作=疋田弘子

◎9月16日(木)

ホテル・ガルダ内ボロブドゥル・ホール、講演=松本亮「日本におけるワヤンの状況」、アシスタント=竹之内有美子、M・ムスタム

ワヤン大会の第二報、ジョクジャからです。
ワヤン大会の第三報、ジョクジャからです。
ワヤン大会2005ジョクジャ報告
「まぼろしの城をめざす」を見て(チュ・S)
 見事にダランを演じた
 マツモト、40年間ワヤンを学ぶ
ワヤンは日本人に興味を持たれている
一度口から出たことばは…(大和田尚)
ワヤン大会奮見記(熊谷 正)
ワヤン・チャンクマン(中辻 正)
新しくなりつづけるワヤンなるもの(松本和枝)






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