ノントン・ワヤン!(ワヤンを見に行こう!)と題したこの絵本は子供だけでなく、初めてワヤンに触れる人もこの芸能がどの様に上演され、親しまれているかということがとても解り易く読み取れる。ここでは少年の目を通してワヤンが身近に上演され、成長の過程で常に何かを心になげかけていく様子が描かれている。
しかもジャワでは当たり前でも私達の周りでは屋台が立ち芸能が身近に上演されることはほとんど無い。古典芸能が変化を続けこれほど楽しまれているのは、世界的にも特殊なことだろう。それはカンチルのような動物の物語にも、単なる昔話ではない現代インドネシアが抱える状況や人々の生活が息づいているからではないか。
とにかくにもワヤンに行こう! この絵本には私が小学生の頃東京タワーの映える芝増上寺で初めて見たワヤン。その時のワクワクが沢山詰まっていた。
「山からきたふたごスマントリとスコスロノ」。私はこの本を手に取り、思わず力作だな、と感じた。版画は強い個性を発しながらも古いワヤンが持つ印象をしっかりと出していた。また文章も、この長く固有名詞の多い物語が自然に読み進められるよう工夫され、場面を追いながらも兄弟の心の繋がりが全体を通して書かれている。
先日、絵本の出版に伴う原画展が青山で開かれた。展示には、刷りを繰り返しながら、筆を進めるように彫りを加え、画面を作り上げていく様子が見て取れた。木口木版を中心とした早川純子さんの作品は、ジャワの風土と混じり、ワヤンの空気を受けながら、新たな展開を見せる。そこにはワヤン、そしてスマントリの物語が孕むあっけらかんとした毒のようなものが光彩を放っていた。
この絵本の元となった演目「スマントリの仕官」と「パティ・スウォンドの死」(オリジナル=キ・スティノ、訳=松本亮、日本語版語り=竹内弘道)は二十数年前日本ワヤン協会公演(於渋谷・ラママ)で初演、数年前も上演され、この時私は「パティ・スウォンドの死」に出演させていただいた。パティ・スウォンドは大臣に昇格したあとのスマントリの名である。
物語の後半、スマントリと魔王ラウォノの戦いが止めどなく続く。中空よりのったりと姿を見せる弟スコスロノの影、一瞬の不意を突かれ落とされたスマントリの首、場面は休むことなくスクリーンいっぱいに流れ続けた。上演後、何とも言えず残ったはがゆさと煌めきは、いま絵本を開いたとき、ふたたび思い起こされる。この人の悲しみがこもった物語は子供たちにとって抜き差しならないリアリティを持って伝わってくるのではないか。そしてここに描かれる幻想的で繊細な《こころの影》は不思議と子供の頃の時間の流れに呼応しているように思えてならない。
「ノントン・ワヤン!」=文・松本亮、絵・橋本とも子、写真・熊谷正(七百円)
「スマントリとスコスロノ」=再話・乾千恵、絵・早川純子、監修・松本亮(千七百円)
(いずれも福音館書店刊)
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