「ヨグヤカルタ芸能フェスティバル2009」小報告

                                         松元亮



 ここのところジョクジャで毎年のように開催となるワヤン大会だが、ヌサンタラ・ワヤン週間2008、2006年は、国際人形劇チャリティ大会、2005年は、国際ワヤン大会2005、そして今年は、ヨグヤカルタ芸能フェスティバル2009などと、そのつど名称が変わり、会場も変わり、まだ何となく落ち着ちついていないようだ。いや、こんなものなのかな?
 今年も面食らったのは、ジョクジャ入りした出演十日ほど前まで、私は会場が既定の「王宮前北広場」と思っていた。すぐ近くだが「ベテン・フレデブル」(ベンテン・フレデブルグとも)に変更とは知らなかったのだ。まあ私はいいのだが、私自身多くの人に広報していたことで困られた方も多々いられたと思う。さらに言うと六月二十九日の私たちの出演日は変わってはいなかったが、ワヤンの七日間は、二十八日から七月四日までのはずが、二十三日から二十九日までで閉会となったのである。ご迷惑をかけた方々に、まずはお詫びしておきたい。
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 今回の日本ワヤン協会上演演目は「サムドラ、サムドラ!」(海だ、海だよう!原題「海が見たい」)。初演は1999年11月。日暮里サニーホールである。台詞ははじめからほとんど変わっていないが、場面設定その他は数回大きく手を入れている。インドネシアでの上演ということから当然日本語の台詞の部分のほとんどにインドネシア語の台詞がかぶさっている。
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 会場は「ベテン・フレデブル」。ジョクジャ・マリオボロ通りの南端、旧大統領官邸(グドゥン・アグン)の真向かい、3月1日記念堂のわき奥深くのウィスマ・プラジュリト(兵舎?)とその広場である。広場の奥に舞台が組まれ、夜ごとに7グループのワヤンそれぞれに激しく異なる設営が仕組まれる。広場の両脇にはパサル・スニ(芸能市場)のさまざまな民芸品、芸術品の出店が並んでいる。その脇には普段は使われないオランダ時代のがっしりした建物があり、それは当時の軍の舎屋で、いまも祝典などの折りの大臣や将校、その部下たちが宿舎として利用するという。私たち出
演者は、3日間3食付きでそこを根城にすることができた。
 そこに移る以前の一週間、私はムスタム家にいたり宿を転々としながら、いつものようにインドネシア語版プログラムをつくったり、踊り手の振りを点検したり、足りない出演用ワヤンを調達したり、出来上がったばかりの重く分厚い拙著「ワヤン・ジャワ、語り集成」の本をお世話になった幾人かの人に配って歩いたり、その間をぬい、ワヤンたちを広げては本番をめざし、多少の練習をしてみるのだった。

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 ともかくも本番開始の時刻は決まっており、その時刻はさっさとやってくる。二十九日午後七時、しかし始められない。踊り手のための照明用ライトが整わないのだ。
 踊りをカットするか。どう按配すれば格好がつけられるか。ジャカルタの国営TVの取材で本番開始前のインタビューがほしいとのこと。さてどうしたものか。あれこれ考える。ライトの位置をさまざまに動かし、踊りのウラン嬢とブレンチョンの影をど
うあしらうかを打ち合わせ、ともかくやむを得ぬ中での最善の方法をみつける。七時四〇分。私の人形を整えはじめる。インタビューは終わってからにしてもらうしかない。開始は七時五〇分。この五〇分ほどの時間は少々つらかった。
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 狩野裕美の強く澄みとおった歌声がきこえはじめる。私はワヤンを遣いながらさらさら流れるグンデルの調べを心地よく聞いた。また少年が動物たちと闘っているあたりではクンダンが見事にたたかいを追いかけ、盛りあげる。もともとこの演目「サムドラ、サムドラ!」で、あとで気が付いたのだが、ソロから来てもらったこのプシンデンと三人のガムランさんたちとは全く音を合わせる時間がなかった。私は彼らがどこでどんな音を出してくれるのか、知らなかったのだ。彼らも当然私がどこでどんな人形の遣い方をするか厳密には分かろうはずがなかったのだ。つまり彼らはまったくの即興だった。かってに動かすダランのワヤンを見ながら、しぜんに叩いてくれていたということになるのである。
 私はすてきな経験をしたのかもしれない。ふっと思い出していた。キ・マンタプの名クンダン奏者パ・ナルトがあるとき、これは冗談だが、もしパ・マツモトがダランするなら、クンダン叩いてやるよ、といった。それとこれとはたんなる妄想なのかも
しれないのだが。              *
 影絵詩劇にセロハン細工による照明効果を利用しはじめたのは、「海が見たい」再演(2007年)の時からである。とくに今回は積極的に利用した(写真参照)。私自身この効果を気に入っているが、私としては費用と手間のかかる照明に費用のかからぬうまい方法がないか考えたすえの苦肉の策である。うまくいった場面では観客もずいぶん面白がってくれたようだ。
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 終演後すぐに、TVRIジャカルタ放送のかんたんなインタビューに応じた。ほんとうは開演前のはずだった。いつ始まるのか大変心配しましたとインタビュアーが言っていた。開始前の私の表情に気を遣ってくれた人が大勢いたようで申し訳ない思い
があとあとまで残った。
 それとは別に、私はちらっと幾人かの土地のひとにその夜のワヤンの感想をきいた。
 「トゴグがよかった。トゴはワヤンじゃ主役で出るなんてないものね。退屈だ、退屈だ、世の中って馬鹿らしい、っていってるのが新鮮だったね」(30代のカメラマン)
 「何の話かぜんぜんわかりませんでした。クリルでゆらゆらしてた赤や青やオレンジ色のかたちが面白くて、さいごまで見ちゃったってところね」(大学出たばかりのOL)
 「いろんな人形が出てきた。ジャワのワヤンがもちろん中心だったけど、どこの国のか分からないのも。それがへんに話にはまってて不思議な感じ」(20歳くらい。ダランの卵?)
 私はジャカルタからのインタビュアーにもきいた、私たちのワヤン、どんなかんじでした? すると彼は、バグス! と激しく親指を立ててくれた。終演後観客が少しまばらになったころ、舞台の端の薄暗がりにしずかに立っている人がいた。ジョクジャきっての前衛芸術家キ・スカスマンだった。25年来の畏友だ。その姿に気づいて近づき固く握手すると、一言彼は「バグス・スカリ」といった。そしてそのまま暗闇に消えた。

ゴロゴロ通信60
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日本ワヤン協会、
ヨグヤカルタ芸能フェスティバル2009に登場する
日本味のワヤン・クリ
近頃のジャワ・ワヤン 狩野裕美
“ワヤン・ジャワ、語り集成“ を前にして 狩野裕美
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