“ワヤン・ジャワ、語り集成“ を前にして

                                         狩野裕美



 誰しもが感じることではあるでしょう、
1. わぁ、とうとう本になったんだ…(嬉しい!)
2. やはり松本亮さんでなければできなかったんだろうなぁ…(敬礼!)
3. 装丁、いいねぇ、つつましやかで、きれい。(ジャワっぽい?)
 3のジャワっぽい、というのは、この21世紀になった今でもまだ素朴で(単に経済的に豊かではないからだが)、ちょっと田舎に行けば満天の星が拝めるジャワ。その、素朴さからくる素敵さ、今の時代それらが少しずつ見えなくなっていく、そんな宝物をもっと沢山秘めていたひと昔のテイストが装丁から伺える、と思ったのです。それは、箱のダンボール素材、シール、そして中味の本のハードカバーのクリーム色と、やわらかさ。とても、素朴。ごてごてしてなくて、いい。それは日本で生まれて生活していると、なかなか見つけにくいものかもしれない。ちょっとした、勇気も必要かな、そうなるには。
 しかも、これはワヤンの話の紹介であるのに、箱の装丁にはワヤンが描かれていなく、踊りのかぶりもの。それだけ。これは象徴的なんじゃないかしら、ワヤンの語りを紹介するにおいて。かぶりものはある、誰がかぶりますか、そしてその踊りは…?
 この本は語り集成なので、公に出版されているワヤンの話の骨格だけをなぞったものではないのは当然ですが、でもひとつ、どなたかの語りを知ることによって、話の筋はわかるようになる。そして、また違うダランの同じ題目のワヤンを見るとちょっと違うところが出てくる、そしてまた、もっと知りたくなる。“それはこの本を手にとった皆さんがひとりひとりされることですね”なんて著者のお声が聞こえそうな?
 そして、ほとんどが70年代の録音を起こしたもの。たぶん、ジャワのワヤンの全盛期だった、と言ってもいいのではないでしょうか。その頃のワヤンを読めるようになったというのがジャワの芸能、ワヤンに係わる者として本当にありがたく感じます。
登場人物の会話、ダランの語り、この形が、これこそがワヤンの面白さ、ワヤンの特徴だからです。また、それらが十分に堪能できていたのがその70年代なのではないか、と70年代を知らない私はうらやましく思うのです。
 巻末に、中村深樹さんの熱意なしには陽の目を見なかった、とあります。こういう方が松本亮さんの前に現れた、本になった、というのが日本でのジャワ芸能探索がこれからも続いていく、絶やしてはいけない、というなんらかの知らせなのかもしれません。
 私は演奏者としてジャワで生きていますが、この本が出版されたことにより、ジャワの芸能にかかわっていく上でさらに楽しめ、発信していけるようになることと、新たな希望をいただきました。
 松本亮さん、そしてその周りの方々、私はただお礼を申し上げることしかできませんが、頭の中と心の中は、いっぱい、です。どうもありがとうございます。

ゴロゴロ通信60
フロント・ページ 
日本ワヤン協会、
ヨグヤカルタ芸能フェスティバル2009に登場する
日本味のワヤン・クリ
近頃のジャワ・ワヤン 狩野裕美
“ワヤン・ジャワ、語り集成“ を前にして 狩野裕美
ラ・ママ上演二十五周年と「ワヤン・ジャワ、語り集成ーマハーバーラタ編ー」 中辻正
新刊絵本「ノントン・ワヤン!」「スマントリとスコスノ」 杉田浩庸

ゴロゴロ通信 On Line版 contents






日本ワヤン協会


東京都世田谷区上北沢4-30-10-707
tel&fax 03-3303-6063
E-mai: banuwati@kt.rim.or.jp


Nihon Wayang Kyokai Home Page