ダラン・ジュパンが魅惑を撒布するとき……

                      (ソロポス紙、2007・07・27)

                             ルトフィヤ



 日本の魅力あるダラン松本亮は、「まぼろしの城をめざす」と題する演目のワヤン・ジュパン(日本のワヤン)上演において、七月二十五日(水)夜の、マンクヌガランのプランウダナン会場に参集した観客のこころを釘付けにした。
 日本独特の古典音楽を伴奏として、この83歳(?)のダランはワヤンたちを遊ばせているかと見えた。ハルス(繊細)なサブタン(人形操作)は上演の運びとともにしだいにインドネシアのダランとは異なっていった。松本はかわらずその性格に忠実で、終始冷静であった。二つの言語、日本語とインドネシア語台詞でのぎりぎりの短い表現を通じて、松本は会場の来訪者を、この夜、日本の昔ばなしの醍醐味へといざなったのである。
 この二時間にも満たぬワヤン・クリ・パダト(パダト=充実したの意。1980年代以降ソロの若手ダランたちによって作られた二時間以内の創作ワヤン)の上演は、日本の雰囲気をふりまいただけでなく、ワヤン・ジャワ上演用のクリル(白い幕)やブレンチョン(一灯の火)を使用するというジャワのワヤンのニュアンスが加わっていて、さらに松本の上演を彩ることになったのである。
 これについてはバンバン・スルヨノ(舞踊家)はこう語っている。彼によれば、松本創作の成果であるワヤン・ジュパンの醍醐味は、ジャワの文化資産をしっかり身につけたうえでのコンテンポラリー(現代)・ワヤンの実験である、と。「松本の性格はまさしくワヤン・クリの運びとは異なる。彼の創作したワヤン・クリはワヤン・ジャワの化身であるとはいえ、彼はジャワの骨組みを使うことなく、だからこそ今夜の上演は、いよいよ魅力的なものになっている」と、上演のあいま、エスポス(ソロポス紙の愛称)の記者の誘いにこたえ、彼はそう語った。

馳走の違い

 同様の調子で、キ・マンタプ・スダルソノはこう語った。彼によれば、美学的、哲学的な面からも、松本のワヤン・ジュパン上演は、ジャワのワヤンとおなじであり、ただご馳走が違って見えるだけである。「物語の面からも基本的にジャワのワヤンとおなじであり、つまり人生における自身の真実探究を人間に突き付けているのである。ワヤン芸術家として、私は日本のダランがインドネシアのワヤンの諸要素を採用していることに誇りを感じる。これはワヤンが、たんにインドネシアの社会を楽しませるだけでなく、世界の人々を楽しませることになる偉大な文化財であることの証明だ」と、彼は語った。
 一方、松本によれば、この夜の「まぼろしの城をめざす」の演目は、まぼろしの城に親友の骨を埋めようとし、とはいえその城の位置をまだ知らずにいる一人の青年の闘いについて物語っている。
 彼は言う、「私は四十年来、ワヤンに取り組んできました。その間私は多少日本の昔ばなしを創作の素材として採り上げてきましたが、しかしそこにはジャワ文化の諸要素がいつも内在しています。それというのも私は、キ・ナルトサブド、キ・アノム・スロト、キ・マンタプ・スダルソノ氏らのワヤンを長く学んできたからでしょうね。私は昨年も一昨年もソロ、ジョクジャでワヤン上演の機会をもちましたが、今夜またこのソロで、日本とインドネシア双方のワヤン仲間たちの協力をえて上演できたことが、なぜかことのほか嬉しいのです」(R)


マンクヌゴロ王宮プランウダナンの間での影絵詩劇上演
「まぼろしの城をめざす」=7月25日(水)
そしてソロ、ジョクジャ周辺の風情について……
 小報告(松本亮)
「まぼろしの城をめざす」見物の実況報告(チュ・ストヨ)
ソロ・プランウダナンの一夜           (宮代厚子)
初ジャワ旅行(吉上智子)
シンデン・ジュパンと日本ワヤン協会のソロ、マンクヌガラン公演(狩野裕美)
ラ・ママ初出演と、マンクヌゴロ王宮公演(中村深樹)






日本ワヤン協会


東京都世田谷区上北沢4-30-10-707
tel&fax 03-3303-6063
E-mai: banuwati@kt.rim.or.jp


Nihon Wayang Kyokai Home Page