「まぼろしの城をめざす」見物の実況報告

                          チュ・ストヨ



 二〇〇七年七月二十五日、水曜日の夜、スラカルタ(ソロ)市のマンクヌゴロ王宮プラン・ウダナンの間の大気は、緊張感に満ちていた。何というべきか、ふつうはスラカルタ・スタイルの古典的ワヤン・クリが上演されるこのプンドポで、この夜はキ・マツモトリョウをダランとして、日本ワヤン協会による日本風ワヤン・クリが上演され、演目「まぼろしの城をめざす」が展開されたのである。
 これはすでに数回、とくに東京を中心に日本国内で上演された日本ワヤン協会の作品だが、むろんソロではまったくはじめてだ。他の演目「水のおんな」はこのソロで、昨年上演されて好評だった。
 「まぼろしの城をめざす」の内容とシナリオに関して、見物人としての私がいつもとは異なるワヤンの雰囲気を報告すれば、ひとをじゅうぶん驚かせることになるだろう。すなわち……
 第一に、上演開始前に分配された小冊子(プログラム)に記された演目名が、見物客にさまざまな質問を喚起させ、またイマジネーションをよびさました。
 第二に、あえてやや暗く、ぼんやりと、さみしげな照明に浮かんだプラン・ウダナンの雰囲気が、見物客それぞれによるアブストラクトな絵画風景を倍加させた。
 第三に、ダラン・キ・マツモトリョウの多忙、アシスタントの人たちの気の張りようだ。ソロの多くのダランたち(キ・マンタプ・スダルソノ=彼はもうワヤン好きの多くの日本人のあいだで知らぬ人はいない。キ・スナルノ=マンクヌガラン・ダラン養成所の教師。キ・バンバン・スワルノ。キ・プルボ・アスモロ)、その他スラカルタ芸術大学のダラン科の教授や学生たちが、舞台をしんけんに見守る。また一般の土地のワヤン好きのひとたちもつめかけている。
 この見物人たちは、一部分プラン・ウダナンのロビーで、椅子にかけたり、床の絨毯に座ったりしている。一部の人は、前庭で観賞としゃれたようだ。たまたま月の明るい夜で、そこでは月のひかりがこの上演に随行しているかのように照り輝いていたのだ。
 第四に、新聞やテレビの記者たちが記事や放映材料をもとめてあれやこれや忙殺されていたことである。
 こうしているうち、ぴったり午後八時に上演がはじまった。キ・ダランは日本の暗い色の着物(少林寺拳法の法衣)をつけ、マタラム時代の濃い青の帽子(ブランコン)をかむってその位置に座し、すでに十分に準備された作品を展開しはじめる。伝統的なワヤン.クリ・ジャワのクリル(白い幕)とシンピンガン(クリルの左右に整列したワヤン人形たち)は今回の作品展開のための装飾のひとつである。
 見物人はみんな関心を集中させ、しずかに、目をクリルにむけた。静まり返り、それは1979年の東京で私が観賞した能楽堂の観客たちの態度のようであった。
 前庭の席を選んだ観客たちは正解だった。というのもクリルの情況はやや遠い距離からじつに美しく見えた。庭の観客はラウド・スピーカーを通したサウンド、そのボリュームの音響技術や照明技術のすばらしさから、コミュニケーションを失うことはなかった。
 ほぼ80分という時の流れのあいだ、観客たちはまさしく呆然とこの舞台を楽しんだ。キ・ダランはなめらかに、また的確に、生の哲学、人生の哲学についての内容をはらむ物語を展開した。日本語を理解しない私だが、インドネシア語のナレーションによる物語のシノプシスに助けられた。
 上演が終わって新聞やテレビのインタビューに追われて、キ・マツモトリョウは忙しそうだった。私は若干の見物客に今夜の上演の印象を問うてみた。キ・マンタプ・スダルソノの印象はこのようだった。「これはワヤン上演における新しい表現だ。創造的なジャワのダランが舞台の色を倍加さすための、また舞台の色の味付けするためのインスピレーションを与えるものとなるでしょう」。ダランたちの先生キ・スナルノはいう。「これは私にとって、私の教えている学校の教材構成の変化をふやすためのインスピレーションとなるものです」。
 そして芸大教授で、ダランでもあるキ・バンバン・スワルノは「日本のワヤン人形たちはすてきに美しく作られている。とくに影の側から見ると美しい」という。彼にもインスピレーションをあたえたようだ。というのもキ・バンバン・スワルノはワヤンの形に大いに気を集中してワヤン制作をする人形作家でもあるのだ。彼は日本の創作ワヤンが大好きである。
 キ・ウントゥス・ススモノはソロからほぼ300キロ離れたジャワの北海岸の都市トゥガルに住む創造的ダランである。彼には私からこの公演を知らせる招待状をおくった。彼は最初からタンチェプ・カヨン(おわり)まで見て、語った。「私もぜひこのようなワヤンを作ってみたい」と。とくにキ・ウントゥスは一個の踊りを挿入した創造性をたいへん評価している(ひとりの女性ダンサーによるシナリオの幕合いにみせた踊り)。
 前庭のパーキングの番人はジャワ語でいった。「やあ、すてきだったね。私はまだこんなワヤンは見たことないよ。残念だけど言葉が分らなかったんだけどね」言葉はインドネシア語がだぶって入っていたのだけれど、この番人さんはジャワ語しか分らなかったんですね。
 見物の客たちは私もふくめ、じゅうぶんに満足で、シナリオ構成者またダランとしてのキ・マツモトリョウの創造性を讃える。伝統的な日本音楽(琵琶)と諸外国のコンテンポレール音楽の結合、また創造性ゆたかなチームのすべてを讃える。
 大成功だった。そしていまやインドネシアのワヤン社会は、また日本ワヤン協会のいつの日かの上演を待っている。

 (ダラン、ガジャマダ大学講師)


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