日本ワヤン協会、

世界に広がるワヤン・クリを象徴する

(ムラピ紙、2010/07/29。Feb-b)


 ワヤン芸術はもはや、とくにジャワ人社会もしくは一般にはインドネシア人たちの支配下のものではない。ついにその伝統芸術は外国人によって学ばれ、深く研究されてしまった。ワヤンがユネスコによって「世界遺産」文化の一つと決められたあと、このときインドネシア本来の芸術はインタナショナル化してしまったのだ。注意しないと、やがてある時ワヤンは外国人に学ばねばならぬことになるだろう。
 その一つの証拠が、本来日本人であるマツモト・リョウによって演じられる日本ワヤン協会の存在とともに、ワヤンが外国で花開いたということである。彼はしばしばジョクジャを訪問し、ワヤン上演のチャンスがあれば参加し、しかも人々を飽きさせることはない。そのようにして、日本ワヤン協会上演が、この7月27日(火)夜、ジョクジャのイブ・ルスウォ通りのンダルム・ユドニングラタンで、ジョクジャカルタ特別州政府主催の「グラル・ラガム・ワヤン2010」のプログラムの中に戻ってきた。
 日本国籍をもつ人間によって演じられているとはいえ、ワヤン・クリの魂はしっかり感じられる。ただ物語や音楽の構成などだけが、これまでのワヤンの跡をたどれば、そうとうに変わっている。
 「日本ワヤン協会の上演は、この地のワヤン・クリと同じようだ。ただ少し、伴奏、言語、物語、サポート効果の使用などが異なるだけだ」と舞台マネージャーのヌルサトウィカがムラピ紙の記者に語った。
 マツモトの経歴はその学問的探求において十分に魅力的である。すでに40年以上ダラン芸術、ワヤン芸術を学んできた。さらに感嘆すべきことは、自身のワヤン・クリを創作しようとしてきたことだろう。彼のワヤン・コレクションのなかには、亡きキ・スカスマンのワヤンが見られ、それはその生前「ワヤン・ウクル」の仕事として知られたものである。上演に際してはマツモトは、二人のアシスタント、塩野茂と中村深樹にサポートされる。日本語の歌をうたうプシンデンの狩野裕美がいる。人物たちの会話については、マツモトは語りをしない。(注=ソロの創作ワヤンである「ワヤン・サンドサ」、またジョクジャの創作ワヤン「ワヤン・ウクル」では、ダランは語りを声優にまかせる。ダランのアシスタントも複数だ)。録音の日本語は相良と内山、インドネシア語はエレンとインドロで、ムスタムとマツモトによる共訳である。
 伴奏については、ジョコ・ダルヤント、ドウィ・ハルヤントそしてスギアルトの参加したガムランと、森重、中辻、小谷、小林による電気楽器を通した現代音楽の構成である。  
 「サムドラ、サムドラ!」の物語を注視すれば、これはマツモト自身の作品である。
ワヤンの世界ではテジョマントリの名で知られるトゴグの心のいらだちを物語っている。彼は天界の神々の王サン・ヒヤン・トゥンガルの息子である。しばしばタナ・サブラン(海の向こうの国)の王に随行するこの道化はじっと考える。なぜ自分はこの下界に落とされたのか、と。茫然として、彼はしきりと、うろうろとする。ワヤン物語の絵の中にあるとはいえ、マツモトは創造をこころみ、想像の中で創作する。
 放浪の中で、トゴグはさまざまな被造物と出会う。ジン(化け物)をはじめ、動物や、すべてに回答を与える神にもまた。トゴグは彼に随行する「養育者」とともに幾世代にもわたって長生きしなければならぬとき、いよいよ不安になる。非常に長い旅の果てに、このとき彼は大海に出会う。しかしやがて彼はまた、この大海が何であるかを考えるにいたる。またしても彼は決定的な答えに出会えないのである。    

( R. M )(文筆業)

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日本ワヤン協会、世界に広がるワヤン・クリを象徴する
(ムラピ紙、2010/07/29。Feb-b)
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