ワヤンの不気味な可能性について

                                         松本亮



 ふつう、民族芸能はそこに手を加え、その土俗の伝統的風合いを損なっては味も素っ気もなくなってしまうと言われる。ひとたび定着した形は後生大事に育てられねばならず、ことに日本ではそのあり方がきびしく論じられる。その代表が江戸時代に入って式能としての宿命を与えられた能狂言で、精緻な芸術性をおびはじめ、やがて一挙手一投足の微妙な動き、謡の一呼吸々々がお手本とちがってはいけないとされ、それが他の芸能の規範ともなって日本の華麗な多くの伝統芸能をまもりつづけてきた。
 洋の東西に星の数ほどもばらまかれた民族芸能は、どれも多少ともそんな運命を背負わされているのかなと思ったりする。そしてまたすてきな民族芸能のかずかずが壊れしぼんで、この世から消えてしまうことも大いにあったのだと思う。
 たまたま私は縁あってジャワのワヤンにぶつかり、さまざまな面に口先だけではない、真底身をぶつけてきた。それでしだいに気づいてきた最大のものの一つは、ワヤンはその形を壊してもその魂は厳然と生きつづけるということだ。……もちろん誤解を避けるため、この見解に対する詳細は他の機会にゆずるとして、ここではただ「ワヤンはその形をこわし、創作をつねに必要としてきた芸能だ」と言うにとどめることでお許し願いたい。
     ☆
 たまたまワヤンにぶつかり、多少は夢中になりはじめた当初はワヤンにおける創作の存在なんてことはまったく考えもしなかった。他の多くの民族芸能同様それは大地、ここではジャワの湿潤の山河に根を張った伝統芸能そのものだった。しかし少し内に踏みこむことでワヤンは本来は影絵芝居でなかったことや、木偶人形や板人形、また俳優の芝居もあり、どれもワヤンの名を冠することなども知った。
 一方、本流のワヤンは物語を千年の昔からラーマーヤナ、マハーバーラタの二大叙事詩に採りながらも、それがほとんど即興で語られてきたことから、時代の厳しいモラルのあり方とともにその内側はたえず変貌しつづけてきたのだ。それが外的様式を突き崩すことにもなる。
 私の接しはじめた1970年代は不世出のダラン、キ・ナルトサブド(1985年没)の全盛期で、このあとソロ周辺では83年(この1年間幸運にも私は研究ビザをえてソロにいた)前後からとくに創作ワヤンの機運が兆していた。ワヤン・パダットやワヤン・サンドサ、またジョクジャではワヤン・ウクルだった。キ・ナルトサブド亡きあとはキ・マンタプの時代、そしてキ・ウントゥスが現れた。彼らの特徴は極端に異なる。そして平行して90年代後半からは、二大叙事詩はそっちのけで下ネタまじりのお笑いワヤンが見られることにもなる。だが、「もしそうした変貌がなかったら、ワヤンはとっくに滅んでいただろう」とも言われる。
 いまやワヤンはどこへ向かうのか。むろんワヤン好きの一好事家の私などに判断できようはずもないのだが、だからといってワヤンにまずは没頭して何かをしたいと思ったとき、そのまま手をこまねいているわけにもいかないのだ。そんなわけで私もいつのころからかジャワの若手ダランたちの真似をして私なりのワヤンを手探りし始めたのだ。80年代の終わり近くからである。それから毎年、日本ワヤン協会公演として伝統的ワヤンの翻訳紹介上演とは別に、創作ワヤンが動き出したのである。試行錯誤の連続だった。それでも日本では珍しい試みだったのか、お客は詰めかけてくれた。「恋多きアルジュノの恋の終り」「天上の唄、地の祈り(四部作」)などがそれで、二大叙事詩からの翻案だったが、やがて日本の物語を内容とする作品に取り付いた。鎌倉時代の絵巻による「水のおんな」、浦島伝説を下地にした「まぼろしの城をめざす」などで、上演様式はさきに記したワヤン・サンドサの影響下にある。
 運良くこれらは語りの日本語にインドネシア語をかぶせて、ジョクジャのワヤン大会やソロのマンクヌゴロ王宮で上演することができ、好評を得ることができた。もともと私はワヤンにはジャワ人の血が流れていると聞いていた。私はジャワの友人たちに半ば甘える形で、おそるおそるワヤンの本場で和製ワヤンを上演する縁に恵まれたのだが、この5年間連続の舞台でその時々に多くの評判を目にすることもできた。その中でも、私の作品の出来映えはともかく、とくに現役の超一流のダラン、キ・マンタプが現地の新聞記者に語っている次の言葉が気にかかるのである。最近くりかえし引用している言葉だが、ご了承ねがいたい。
 「またキ・マンタプ・スダルソノはこう語った。松本のワヤン・ジュパン上演は美学的・哲学的な面からもジャワのワヤンと同じであり、ただご馳走が違って見えるだけである。物語の面からもそのようで、つまり人生における自身の真実探求を人間に突き付けているのである。ワヤン芸術家として、私は日本のダランがワヤンの諸要素を採用していることに誇りを感じる。これはワヤンが、たんにインドネシアの社会を楽しませるだけでなく、世界の人々を楽しませることになる偉大な文化財であることの証明だ、と。」(ソロ市の日刊紙ソロポス、2007年7月27日、「ダラン・ジュパンが魅惑を散布するとき……」の記事より。この時の演目は「まぼろしの城をめざす」である)
 私にはキ・マンタプの器量の大きさがまぶしい。……ワヤンがたんにインドネシアの社会を楽しませるだけでなく、世界の人々をたのしませることになる偉大な文化財であることの証明だ。……当然これらの作品にはインドネシア語訳をかぶせて土地のだれにも内容が分かってもらえるようにしたことで、こうした評判を得たことは確かだが、私はまた、キ・マンタプの言葉を拡大解釈して、いささか話が飛躍して恐縮だが、このインドネシア語をたとえばフランス語もしくは英語におきかえたらどうなるのだろうかと空想したりもするのだ。
 フランスではフランス語訳で、英語圏では英語訳で上演できたらどんなものだろう
と。もちろん世界中のどこの国の物語でも、どこの言語でのいい。
     ☆
 ワヤンの不気味な可能性と私は書いた。来年のおそらくは七月はじめ、「野獣、恋のバラード」(ボーモン夫人作「美女と野獣」より)をインドネシア語をかぶせ、ジョクジャの大会で上演するが、いつの日か運よくフランス語をかぶせ、フランスで上演という珍事に出くわさぬとも限るまい。いやいや、しょせんはくらげのようにしか頑張れない私のことだから、たのしみ楽しみ揺れていくしかないのだが。たまには景気のいい妄想の風を吹かせながら、年の瀬をふわりと越えていこうと思う。

ゴロゴロ通信61
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「野獣、恋のバラード」を見て         吉上恭太
松本亮版 美女と野獣 影絵詩劇「野獣、恋のバラード」を観て    高橋 佐貴子
「野獣、恋のバラード」を観劇して       藤井 裕子
ワヤンの不気味な可能性について   松本亮

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