二〇〇六年ワヤン大会に参加して

                 杉田浩庸



2005年のジョクジャのワヤン大会が終わってまだ数ヶ月もたたない頃、突然松本先生からお電話を戴いた。
 「ジョクジャで、来年もワヤン大会があるらしいんだけど、あなた、また行けますか」まったく思いもしない知らせだった。基本的にワヤン大会は五年に一回、しかも去年の大会は政変等のゴタゴタで、93年以来の十二年ぶりの開催となり、私は次いつ催されるとも知れないこのイベントに参加して、もうしばらくはジャワに来れないだろうと思っていた。招聘のお話しを受け、私は二つ返事で参加することになった。大会の方向性としては、前回がワヤンにかんする会議中心なのに対し、今回は上演を中心に進めるというものであった。
 そんな中あの地震が起きた。新聞やテレビではふだんほとんど耳にすることのない”ジョクジャカルタ”という地名が何度も読み上げられ、一瞬ワヤン大会は開催されないのではという不安もよぎったが、予定どおり進行し、主旨としては被災者に捧げる大会にあらためられた。いただいた招待状は昨年よりはるかにシンプルで黒地にうっすらとワヤンの像が浮かび上がっていた。裏表紙にもぼんやり何か印刷されている。よく見ると、崩壊したビルと被災者の姿だった。ー随分ストレートだな。ーふとそう思ったが、やはりそれだけこの大会が様々な意味をもっているのだ。
 大会はジョクジャのマリオボロ通りの角にあるモニュメント広場で行われ、開会式、影絵詩劇「水のおんな」上演、ジョクジャの長老キ・ティンブルのワヤンと続く。一枚のクリルを挟んで、影を見せる日本の影絵詩劇と、演者側が中心のジャワのワヤンが両面に向かい合うように設置された。こうしたことを当たり前のようにするところが面白い。
 松本先生はいつものようにとても落ち着いた様子で上演をされ、観客は流れるように運ばれるインドネシア語まじりの物語の内容にじっと聞き入っていた。そのことは翌日のたくさんな現地の新聞記事にもよく見て取れる。その一つに”ワヤンはただ見るだけでなく、教訓などを聞くものだ”という評文があった。
 ジャワでの公演がたまたま被災者救援のための大会と変身してしまい、しかも作品は変えたわけでもなく、もともと「水のおんな」の内容は人が水となって流れるという何か魔除け的な要素を持っている。松本先生に伺ってみると、いつどんな場所であっても私の物語はそうした世界観を孕んでいるんですよね、と他人事のようにおっしゃっていた。

ジョクジャ・ソロ両古都での公演を終えて(松本亮)
水のおんな《プトリ・ジャディジャディアン》(チュ・ストヨ)
《水のおんな》人生を映す(ソロポス紙、2006年7月28日)
往く川の水(芹澤薫)
プンドポの夢 ―再びウィジョヨクスモに―(塩野 茂)

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