プンドポの夢 ―再びウィジョヨクスモに―

                 塩野 茂



 「putri jadijadian」、私はこの「水の女」の訳名がとても気に入っている。
 所期の目的を果たした‘06国際大会のオープニング公演から中2日、7月26日の夜、ソロはマンクヌゴロ王宮のプランウダナン。上演開始直前のクリル上手に作務衣姿で正座する松本先生、ジャワ紅茶をすすり、目を閉じてしばし瞑想するその姿は穏やかな存在の調和、禅僧の風情を漂わせている。マンクヌゴロはある意味、日本のワヤンの出発点。ソロ公演の成功は言うまでもない。
 日本の能舞台を低く切り出したようなプランウダナンを、涼やかな夜のしじまが包む。久保田さん吟ずる平家物語と琵琶、森重さん・小谷さんの「何でも二人アンサンブル」も冴えて、映像音響や照明の演出も上々。人形たちも色鮮やかに姿くっきりと、また時に存在と非存在が溶け合う朧な時空へと観る者を誘い、ジョグジャでは望むべくもなかった美しい空間が立ち現れた。ジョグジャの会場は地震被害でクラトンからマリオボロ大通りの中央交差点角、3・1独立記念広場に変更。昼間のようにきついオレンジ色の街灯の光、何時になっても絶えぬバイクの喧騒に出演者の心は波立った。本番23日16時、スタッフが再び集合すると、前夜のゲネプロで客席中央に設営した音響映像ブースが消えていた。次は幕開け。導入の平家物語で「さあ!」とビデオのズームボタンに指をかけるが、琵琶の音採りマイクが電池切れ。数分間、奏者はキ・ティンブルのガムラン楽士の前で、座ったままの立ち往生。やはりここはジャワでした。
 人々が去り、片付けも終わったプランウダナン。宿のサヒドクスマに引き揚げようという段、乾季とはいえほんとうに久しぶりだという雨が降った。外国での2公演を終えて安堵した心にまばらな雨粒が沁みこんだ。この日は午前中にクリルも立ち、順調な運びだった。昼前、プンドポでの昼寝というもう一つの旅の目的を果たすべく、東門から独りクラトンに入った。宮廷舞踊の公開練習の日で、既に見学の外国人が大勢いた。残りのビデオテープを回してから人の居ない北東側にまわり、柱に背をもたせて、プリマとおぼしき美姫を間近に両足を伸ばした。大理石の床がヒンヤリとして、えも言われず心地よい。踊りは以前に観た「ブドヨ・ブダ・マディウン」、たぶん明日の晩のための稽古だろう。疲れのせいか、ちょうど対角から響いてくるガムランの波動のせいか、脳髄が甘くしびれて宙空を彷徨うようだ。そのまま、まどろんでいた。うっすらと目を開ければ「スリンピ」を舞うスッピンの美姫2人、その端正で優雅なシルエット、細く高く透きとおった歌声はもうビダダリです。天界モードに朦朧としていると、不思議に湧いてきたのです。「ああ、もうこれでいい。手負い熊の巣篭もりはこれでほんとにおしまいだ。」“de nouveau”、新しくここからもう一度。
 7月29日、帰国。家に戻ると、枯れたとばかり思っていた月下美人の蕾が膨らんで、鎌首をもたげていた。今夜、咲く。7年前、冬の外気にさらされて死にかけた木、そして今たった一つ、何年ぶりかで付いた蕾。その佳人は小さくて見るからに弱々しかったが、限りを尽くしてその夜を生きた。人、いずこより来たりて何をなし、何処へ行くか。ジャワ被災の鎮魂と私の影とが重なった公演の旅は終わった。 合掌

ジョクジャ・ソロ両古都での公演を終えて(松本亮)
水のおんな《プトリ・ジャディジャディアン》(チュ・ストヨ)
《水のおんな》人生を映す(ソロポス紙、2006年7月28日)
往く川の水(芹澤薫)
二〇〇六年ワヤン大会に参加して(杉田浩庸)

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