賀春。ここで2007年を振り返れば、おもな仕事は以下のようになるでしょうか。
ラママ徹夜公演→マンクヌゴロ王宮「まぼろしの城をめざす」公演→東京家政大学博物館「影と色彩の魅惑ワヤン」展→日暮里サニーホール「海が見たい」公演
◎ ラママでの恒例徹夜ワヤン(6月23日、午後9時〜午前5時)は、今回で二十三年目、『ガトゥコチョの生涯』からの5演目で、準備はいつものように前年の暮れからである。
ジャワで見るかぎり語りはジャワ語である。そんなことからダランのジャワ語を邦訳してオリジナルのテープにミキシングし。本物のワヤン人形を遣って上演、ともかくもジャワのダランが何を語っているか分りながら見てほしいとの願いではじめたのが、私たちのこうしたワヤン紹介の公演である。変則は百も承知だが、世界中にこうしたワヤンの楽しみ方をするグループは他に存在しない。もちろんこのやり方はどこまでいっても紹介を楽しんでもらうことにあり、それ以上の何ものでもないが、少なくとも、私たち自身がジャワ文化に深く親しみ、また観客たちのジャワ接近への貴重な場をつくりつづけてきたことは間違いない。日本ワヤン協会ができて三十三年、いまダランは私の仲間に八、九人もいる。
それにしても、こうした形であなたのワヤンの語りを日本人に紹介したい、とその昔、キ・ナルトサブドにその許可を乞い、ふんふんと許可を得たが、おそらくキ・ナルトはついに、それがどんなものやら、なんのことやら、さっぱりわからなかっただろうなと思う。
◎ソロのマンクヌゴロ王宮での一昨年につづく創作の影絵詩劇上演(7月25日)だ。一昨年は平安中期に取材した長谷雄草紙を下敷きにした「水のおんな」(初演=1999年)、昨年は江戸中期の御伽草紙・浦島伝説による「まぼろしの城をめざす」(初演=2001年)。これらはまた一昨年、その前年とジョクジャのワヤン大会から招待をうけたもの。結果的に三年連続の、ワヤン本場中の本場での上演となったが、幸運にもすべて大成功だった。
これらの作品はいずれも日本の物語を下敷きにしているが、かくべつ日本にこだわったわけではない。テーマは世界中のどこからでもいい。音楽も人形も国籍はいらない。国籍不明の、要するに申し訳ないが松本亮という人間が、これまでにこの大地、空間に、呼吸し学んだ中で得たエッセンスから何やらを表現しようとし、そこに出現した作品なのだ。
そして土地の人々に作品のテーマを知ってもらいたいため、日本語の語り(相良侑美と内山彰夫)のうえに最大限インドネシア語をかぶせた。その分聞きづらい個所も少々あったようで、終演後私たちの用意したインドネシア語のテキストや粗筋を多くの人がもってかえった。日本人は、いや世の人間は、何を考え、生き、また死のうとするのだろうと。形も形だが、時としてワヤンは、本来そこに示された処世観ないしは訴えるものが見者のこころにさらりと跡をとどめることがなければ、上演の意味もなにもないというべきだろう。
この三年間多くの人のお世話になった。ジョクジャではまず、ストヨさん。2006年五月ごろ、彼から入ったジョクジャでのワヤン大会開催のメール第一報がなければ、この三年連続の上演はなかったろう。三年連続四回の公演のダランは松本亮が演じた。そして懸命に働いてくれたムスタムさん。大会実行委員長のムルサットミカさんのご好意が忘れられない。ソロではキ・マンタプ・スダルソノやキ・バンバン・スワルノ、マンクヌゴロ王家の旧知の多くのスタッフのにこやかな励まし。裏で支えてくれた芹沢薫さん。とくに昨年のじょうえんでは狩野裕美さんのお世話になった。「まぼろしの城をめざす」の冒頭でプシンデンである彼女に日本の歌を歌ってもらったり、仲間のガムラン奏者たちを動員してメインの音楽にかぶせ、半ば即興でガムランを奏してもらうなどにより、現地の芸術家たちとコラボレーションの妙味を楽しむ今後への可能性を与えてもらったのだ。
東京からの演者・スタッフは大勢だ。音響技術担当の大和田尚には毎年付き合ってもらっていて、彼なくしてはジャワ三年のワヤン・ジュパン公演は成立しなかったろう。一昨年はとくに琵琶奏者の久保田晶子、また森重行敏一行に参加してもらった。日本からのワヤン人形として特徴を示した主役の女性や鬼はとくに好評だった。制作者は中辻正である。ダランのアシスタント演者としてこの三年、代わるがわる松本和枝、YUKI、杉田浩庸、中村深樹、松本信子らが支えてくれた。他に塩野茂、宮原理紗、加藤潤子、熊谷正、降矢政男らが参加した。
◎東京家政大学博物館「影と色彩の魅惑ワヤン」展(10月18日〜11月15日)。入場者目標総数をはるかに突破した盛況ぶりだったと、博物館側から報告をうけた。ランバンサリ有志のガムラン演奏、日本ワヤン協会メンバーによるワヤン上演、展示のワヤン解説のギャラリー・トークもあった。繰り返し繰り返し来られた人も多かったそうだ。博物館所蔵ワヤン、友人たちのもの、そして松本亮コレクションを含めて、高橋佐貴子さんをはじめとする博物館スタッフの方々の並みならぬ奮闘のおかげで、選び抜かれたワヤン群像がみごとに立ち上がった。こじんまりながらも、歴史的、種類別、地域別、ダラン別、また国別に系統的に配されて、見やすく、もはやインドネシアでもお目にかかれないものが多い貴重なワヤン群のさざめきは、妖しくも、また愛らしかった。一口に壮観というべきか。
それにしても我が家の押入れや簡易ワヤン収納箱のなかで窮屈に暮らしていたものが、晴れがましい場にしゃなり勢揃いすると、俄然おめかししたようでまばゆい。さらには一体ごと相対していると、不思議なことに、どの人形もはじめて手にした時の現地でのしみじみした思い出が鮮明に蘇ってくるのだ。どこで、どんな情況で、そしてときには譲ってくれた多くのダランたち、ダランの奥さんたち、古道具屋の主人たち、その人たちの表情までが迫ってくる。私はワヤンたちを素性も知らず、十ぱひとからげに買い集めたことはないのだ。
そうなんだよ、ふだんは物いわぬ人形たちなのだが、ここにいる多くの彼ら、彼女らはかつてはキ・ナルトサブドやキ・スティノ、キ・マンタプら不世出のダランたちの口を借り、時代を作り、一世を風靡し、時代を魅了し尽くす言葉を発し続けてきたのだ。そしてまたいつの日か彼ら、彼女らは、他のダランたちをうながしては激しく、またやさしく、人の心に語りかけるにちがいない。
◎影絵詩劇「海が見たい」(日暮里サニーホール、11月10日)。この作品の最終部分において、クレスノがスマルによって大戦争回避にかんし詰問・罵倒されるあたりは、反戦のワヤン演目「スマル・グガ」、さらにこの反戦を膨らませた小説「イスモヨ・トリウィクロモ」=怒れるイスモヨ(スマルが神性を顕現したときの別名)の意=(ダルモヨ著)を下敷きにしている。「スマル・グガ」は反戦を理由にスハルト時代には暗黙のうちに上演されなかったといわれる。偶然だが「海が見たい」の初演は1998年。この年インドネシアでは、スハルト政権が倒れた。
*
以降、
○十一月二十六日〜三十日、「アーバンドックららぽーと豊洲」内の「キッザニア東京」で、「キッザニア・ジャカルタ」におけるワヤン展示とイベント。担当=中辻正
○十一月二十九日、千葉県市川市立新浜小学校と新浜幼稚園合同のPTA行事、ワヤン「アルジュノの饗宴」上演、ダラン=中辻正
○十二月十四日、千葉県浦安市「PJインドネシア・レストラン」イベント、ワヤン「クレスノ使者に立つ」上演、ダラン=宮原理紗