ゴロゴロ通信第67号 

2011.05.12 日本ワヤン協会

                                         



マンクヌゴロ王宮での影絵詩劇(ワヤン・ジュパン)上演決定
「野獣、恋のバラード」Raksasa dan Gadis Cantik
   =二〇一一年七月四日(月)午後八時〜九時半
     プランウダナンの間、入場無料、招待状不要
     脚本、演出、出演=松本亮ほか、
そしてソロ、ジョクジャ、ムラピ火山周辺の状況について
 小報告(松本亮)

◎ 二月下旬から三月一〇日までインドネシアにいた。私は昨年十月二十六日に大噴火したムラピ火山が気にかかっていて、さっそく親友ムスタムさんの車で山に登り、土地の人たち(被災者もまじっていた)と一緒に、きつい火砕流のあとを見た。はげしく襲った火焔に焼き払われた斜面の灌木林、小学校や家々のあとは目も当てられない惨状だった。日を違えて二カ所をみて回った。風がしょうしょうと吹き、こまかい灰か砂か、地獄の土のよう顔をかすっていく。
 誰か、土地の人が言った。「ムラピにしてみれば、ごくごく当たり前な営みなんですよねえ。だけど、そのつど人間は苦しむ。防ぎようもなくてね」 
 ジョクジャカルタ特別州政府主催の今年のワヤン大会は六月と決まっていて、実行委員長は災害魔除けのためのワヤン大会実施を最後までねがったが、資金の都合つかず中止やむなし、申し訳ないが来年には是非、ということになる。
○ ムラピ火山被災者救済募金報告 東京家政大学博物館と御成門のアセアンセンターで昨年と今年開催されたワヤン関係の会に日本ワヤン協会として、そっと募金箱を出させていただいた。浄財集計は15500円だった。二月下旬ルピアに交換し、ワヤン大会実行委員長に寄託するはずだったが、さきにムラピに登り、なお悲惨な状況下にある現地で接したダナ(募金箱)三カ所と仮設の小学校の先生にそれぞれ分けて納めさせていただいた。それにしても災害の爪痕は永遠に消えないのだ。亡くなった人は永遠に帰らないからである。
 ジョクジャに帰ると、街なかはすでにいつもの賑わいを取りもどしていた。山村
の悲惨はど この国のことかと思われる。

◎ そして三月十日に帰京、翌十一日の東北・関東大地震、大津波、原発事故となる。日本は火山国、地震国としてインドネシアとあまりにも似ている。しかも昔にくらべて、災害の規模は「想定外」の言葉が愚かと思えるほどに似たよなものだ。いまや大自然の働きに、どんな言葉も空しく、いたわりあって、誰しもぼつぼつ歩いていくしかない。

◎ 思えば、ジョクジャのワヤン大会は2006年の大地震被害をうけた翌年の07年が中止になった。中止は今回が二度目である。その07年やはりソロへ出向き、マンクヌゴロ王宮で上演させてもらった。この王宮は私の四〇年におよぶ交友の地であり、一九八三年にはほぼ一年 間その別邸が提供された。拙著「ジャワ夢幻日記」曽遊の地である。

◎ 2011.7.1〜3……ソロ国際パフォーミング・アーツ(マンクヌゴロ王宮外庭)
     7.4〜6……ソロ・バティク・ファションショー(ソロ市庁舎)
        
◎ 新聞やテレビでは東日本大震災の報道がかわらずつづいています。おそらくは世の中ががらりと変わっていくのでしょう。変わりようをしっかり見つめていきましょう。変わるもののなかで変わらぬものは何かをまで、しっかり見つめていきましょう。どうぞお元気で。

◎ 今後の主な催しの予定(2011年)…あらためてチラシをお送りします。
 09・10(土)渋谷ラママ・徹夜ワヤン上演=マハーバーラタより
     出演=宮原理紗、西山裕美 YUKI 松本和枝、大和田尚、中辻正
 09・24(土)東京家政大学博物館。「野獣、恋のバラード」上演
 10・29(土)東京家政大学博物館。ギャラリー・トーク
 11・05(土)日暮里サニーホール。「スマントリの仕官。天人の羽衣」上演

◎ 今号は以下に異色の二つの原稿が掲載される。その一つはソロ在住のプシンデン狩野裕美さんからのもので、今日の一般のダランの上演風景である。これでみると、日本ワヤン協会の紹介ワヤン上演の多くはキ・ナルトサブドを頂点とする最盛期1970年代のもので、現在のワヤン・ジャワとは異質のも のであることがわかる。二つ目の原稿は五年前2006年のスアラ・ムルデカ紙の真摯なワヤン批評文であ
る。対象はマンクヌゴロ王家での「水のおんな」上演。文意がいささか読みとりにくいまま訳出せず、そっとしておいたものである。

◎ キ・ティムブル・ハディプライトノ死去。五月十日早朝。享年79歳。
 ジョクジャ屈指のダランで、1970年代初めころすでにソロ・スタイルのキ・ナルトサブドと並び、ジョクジャのキ・ティンブルとして著名だった。私にはキ・ナルトサブドが詩人とすれば、キ・ティンブルは散文作家と見えた。キ・ティンブルは終始、今日のワヤンのお笑い情況に対する烈しい批判者であった。
   ☆
 2006年のジョクジャ南方大地震の時、バントゥル在住の、キ・ティムブル一家の九棟全部が全壊、その後その跡地に住んでいられた同氏のお見舞いに伺った。たまたま同氏はお留守だったが、ご家族から家財道具はぜんぶ壊れたが、ワヤンはコタクに入っていてどれも無事だったとお聞きした。
 その数日後ジョクジャのワヤン大会がマリオボロの三月一日記念堂で開催され、
その初日、オープニングに私たち日本ワヤン協会の「水のおんな」上演が一時間半ほど、これに続き、おなじ場所、おなじクリルで、キ・ティンブルの徹夜のワヤンが始まったのだった。今更ながら不思議なご縁と思う。
 いまはただ、深い哀悼の意を捧げるばかりである。(松本)

ゴロゴロ通信67
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ワヤン・クリ上演の意味 狩野裕美
ワヤン・ジュパンの中のジャワの魂
 スアラ・ムルデカ2006/07/28、ウィスヌ・キソウォ45)

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