222.Banjaran Karna (Riwayat Karna)
カルノの生涯

 これはバスカルノの誕生からバラタユダでの戦死に至るまでをひとつのラコンとして作った演目である。
 このバンジャラン・ラコンはカルノの誕生の物語から始まる。母クンティは未婚のまま妊娠した。それは、読み上げた神を招聘する呪文のおかげであった。かくてバトロ・スルヨが到来し、ひとりの子を賜り、デゥイ・クンティは突如妊娠するに至ったのである。
マンドゥロ国での過ちを隠し、クンティの純潔を守るため、その子供は耳から産まれさせられた。その赤ん坊がカルノ(耳の意)と名付けられた所以である。
 その後その子はガンゴ河に流され、アスティノ国の馭者、アディロトに見出され、養育された。
 成人に達した頃、アスティノではドゥルノ師の弟子たちの力量を量る、ソコリモの弟子たちの武芸大会が催された。カルノは大会場に乱入し、アルジュノに挑戦した。カルノの挑戦はビモにより、カルノが身分の低い者であるという理由で拒まれた。これを見たドゥルユドノはすぐさまカルノをアウォンゴの王に任じた。これでカルノの挑戦を拒む理由は無くなった。
 アルジュノとカルノはかくて烈しい一騎打ちに及び、ついにナロド神によって引き分けられた。カルノがパンダワの年長の兄弟であることが知らされたが、カルノはコラワ側についた。
 パンダワとコラワの間にバラタユダの戦いが起こった時、カルノはコラワの側につき、ついにはアルジュノに斃された。
 このラコン・バンジャランはわりと有名である。上演に際してダランたちは通常、バラタユダの諸演目と同等のサジェン(供物)を用意する。

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