150.補遺:シティジョ/ボモノロカスロ

SITIJA
シティジョ


 シティジョ、またスティジョ(SUTIJA)と呼ばれることもある。ドロワティ国王プラブ・クレスノの息子のひとりである。母は蛇神オントボゴの長女、デウィ・プルティウィ(Pertiwi)。産まれてから成長するまでシティジョは地底の第一層、カヤンガン・エコプラトロ(Ekapratala)に母と共にあった。
 成人を待ってシティジョは母に、父を捜しに出ることを乞うた。母はシティジョの父が、バトロ・ウィスヌであることを教え、今はプラブ・バトロ・クレスノに化身していると告げた。それ故、シティジョは彼(クレスノ)に会うため、ドロワティへ向った。デウィ・プルティウィはまた、彼に超能力、チョンコ・ウィジョヨムルヨ(Cangkok Wijayamulya)を授けた。この超能力は寿命に至らずに死んだ者を生き返らせることのできるものだった。
 こうして地上に出たシティジョは、廃棄物置き場に現れた。そこで彼は、スサジ(祝宴)に使用された文物を見つけた。シティジョは、チョンコ・ウィジョヨムルヨを試したくなった。
 一羽の鳩の死骸が蘇生させられ、それはひとりのラクササとなり、ガトドロ(Gatodara)の名が与えられた。ドロ(Dara)とはジャワの言葉で鳩のことである。また、瓶の破片に命が与えられ、ラクササとなり、ヨヨグリウォ(Yayahgriwa)と名付けられた。それから、裂いた竹でつくられたスサジ用の珍しい笊(ざる)があり、これにも命が吹き込まれた。ラクササとなり、オンチョコグロ(Ancakogra)と名付けられた。
 三人のラクササはシティジョに仕え、従者となった。ドロワティへの道すがら、シティジョはプラジャティソ(Prajatisa)王国を征服し、プラブ・ボマントロ(Bomantara)を殺した。その後、彼はまたスロトゥルン(Surateleng)王国のプラブ・ノロカスロ(Narakasra)を敗った。シティジョは二つの王国を併せ、ひとつの新しい国として、トゥラジュトゥリスノ(trajutrisna)と名付けた。新国の王となり、彼はプラブ・ボモ・ノロカスロ(Boma Narakasura)と称した。彼が斃した二人の王の名を併せたのである。
 また、シティジョはプラブ・ノロカスロの美しい娘、デウィ・アグニョノワティ(Agnyanawati)を妻に迎えた。
 またボモ・ノロカスロは、プロジョティソとスラテゥルン両国から大臣を採用した。アルヨ・スポウォロとポンチョドゥニョノがトゥラジュトゥリスノ国の大臣となった。
 一説によれば、シティジョの本当の父はバトロ・ウィスヌではなく、プラブ・ボマントロであるとも言う。そうであれば、シティジョはプラブ・クレスノの息子ではないということになる。

BOMA NARAKASURA
ボモ・ノロカスロ


トゥラジュトゥリスノの王で、ドロワティ国王プラブ・クレスノの息子のひとりである。若いときの名はスティジョ(しばしばシティジョとも呼ばれる)。時折ボマントロとも呼ばれる。ボモ・ノロカスロの名は、以前彼が征服した王たちの名を併せたもの(nunggak semi)である。頭の名は、彼の母方の伯父、プロジョティソ王国のプラブ・ボマントロから、後の名はスロトゥルン王国を統治していてボモに斃されたプラブ・ノロカスロのものである。
 シティジョの母は大地を統べるビダダリ、デウィ・プルティウィである。父はバトロ・ウィスヌであり、それゆえ彼はドロワティ国王でウィスヌ神の化身であるプラブ・クレスノの息子とされた。
 東部ジャワのスタイルを踏襲するダランは、シティジョがコモ・サラ(kama salah=誤ちの精液)から生まれた、と語る。
 彼の誕生の物語は、バトロ・ウィスヌと、水牛の頭を持つラクササ・ガンダルウォ、プラブ・クボンダヌ(Kebondanu)の烈しい一騎打ちから始まる。何日も何週間も、何ヶ月も勝負がつかなかった。戦いの最中、ふいにバトロ・ウィスヌは妻であるバタリ・プルティウィのことを思い出した。バタリ・プルティウィへの恋情が頂点に達し、バトロ・ウィスヌの精液(コモ・ブニ kama-benih)が滴り落ち、クボンダヌの汗と混ざり合った。
 驚嘆すべき事態となった。
 世の混乱が生じた。大地は震動し、火山が爆発し、あちこちで竜巻が衝突した。
 バトロ・ウィスヌは一瞬凍り付いた。それを好機とクボンダヌがすばやく飛びついた。その時幸運にもバトロ・ウィスヌは、重代の武器スグス(sugus=小刀状の武器)を引き抜いた。
 横っ飛びになったクボンダヌは刀に斬り付けられた。まだ動きを止めないので、バトロ・ウィスヌはすぐさま敵の二本の角をつかみ、その頭から抜き取った。二本の角が引き抜かれた時、クボンダヌの首飾りに付いていた鈴が飛んで落ちた。
 その瞬間、クボンダヌの魂の声が聞こえた。彼は間もなく生まれるウィスヌの子供とその魂が一体となったのだ、と。
 クボンダヌの首飾りの鈴は遠くに投げ捨てられ、サンヤン・ノゴロジョの膝に落ちた。驚いたノゴロジョは呟いた。「グント(Genta=鈴)…」
 サン・ヤン・ノゴロジョの言葉には大いなる魔力が宿り、そのグントは人間の姿となった。ノゴロジョは彼を自身の子供として養育し、グントヨソ(Gentayasa)の名を与えた。その時またひとりの子供がやって来て、彼の父が誰なのかを尋ねた。答える事ができずに、サン・ヤン・ノゴロジョはその子供にカヤンガン(天界)へ行ってブトロ・グルに聞くようにと命じた。道中の仲間として、ノゴロジョはグントヨソにその子供に付き従うよう命じ、バニュ・パングリパン(BanyuPanguripan=生命の水)を彼らに与えた。
 その子にブトロ・グルはボモの名を与えた。しかし彼の父が何者であるかという問いには答えられず、ボモは暴れ回った。神々は誰ひとり彼に敵わなかった。そこでブトロ・グルはボモにチョンドロディムコ火山の火口に父を探しに行けと命じた。ボモは(火山の熱でも)死ぬ事無く、カワ・ナラカ(Kawh Naraka=地獄の火口)として知られるチョンドロディムコの火口に入って行った。
 その超能力に驚き、ブトロ・グルは彼に名を追贈した。即ちボモ・ノロカスロまたボモ・ナラカプトロ(Narakaputra)である。
 ボモの怒りの原因となれる、彼の父が誰かという問題に対し、バトロ・ウィスヌが彼を息子として承認した。バトロ・ウィスヌは、彼が斃した敵、クボンダヌの魂の言葉を思い起こした。
 グントヨソはボモノロカスロの忠実な従者となり、ウィスヌの息子はトゥラジュトゥリスノの王となった。
 東部ジャワのダランによる物語は以上のようなものである。
 シティジョまたの名ボモ・ノロカスロの超能力のひとつは、大地に横たわることで発現する。もし彼が死んでも、その身体が地上に触れれば、彼は再び生き返るのである。
 この超能力は一部のダランにアジ・ポンチョソノ(Aji Pancasana)と呼ばれる。それはプラブ・ドソムコ、そしてルシ・スバリが所有していたものと同様である。しかし他の一部のダランは、ボモ・ノロカスロはアジ・ポンチョソノを持ってはいない、と言う。この超能力は彼が持っているのではなく、その母のものであるというのだ。ジョクジャカルタ・スタイルのダランによれば、母からボモに与えられたアジ・ポンチョソノブミ(Aji Pancasanabumi)は、その死体が大地に触れれば、いつでも生き返るというものだ、という。
 ボモには母を同じくする妹、シティ・スンダリがいる。彼女は長じてアビマニュの妻となる。また異母兄弟の弟ソムボ(Samba)がいる。
 ボモの妻の名はデウィ・アグニョノワティ(Agnyanawati)である。また、彼の大臣はポンチョドゥニョノ(Pancadnyana)とアルヨ・スパウォロ(AryaSupawala)である。二人は以前プロジョティソとスラトゥルンの大臣であった。ワヤン・クリ・プルウォにおいては、ボモは空飛ぶ乗用獣、ラクササ鳥のウィルモノを持っている。
 ある時、デウィ・アグニョノワティは、義兄弟のソムボと関係した。このスキャンダルを発見したボモは、怒りに燃え、ソムボを殺し、その身体をバラバラに引き裂いた。しかし彼らの父、プラブ・クレスノはソムボの寿命はまだ尽きていないとして、チョンコ・ウィジョヨクスモの花を用いた。ウィスヌの化身(クレスノ)はソムボを生き返らせたのである。クレスノはまた、デウィ・アグニョノワティとソムボ(の組み合わせこそ)が(神の定めた)本当の伴侶であることを知っていたのである。
 ソムボを生き返らせたクレスノの行為にボモは怒った。またパティ・ポンチョドゥヨノが、明らかに過ちを犯したソムボに味方するクレスノを懲らしめるため、ボモノロカスロに、ドロワティ国を攻撃すうるようそそのかした。トゥラジュトリスノとドロワティの間に烈しい戦争が勃発した。
 パティ・ポンチョドゥニョノとアルヨ・スパウォロは、クレスノの兄ボロデウォによって、煽動の首謀者として殺された。ボモは、彼自身の父クレスノが放ったチョクロ(円盤状の武器)を受け、何度も死に至ったが、すぐに生き返る。ボモの母バタリ・プルティウィがひそかに助けていたのである。ボモの死体が大地にふれる度にバタリ・プルティウィは彼を生き返らせていたのである。神々はクレスノに助けの手を伸ばした。バトロ・ナロドが幾人ものビダダリたちに命じて、絹の網、またアンジャン・アンジャン・クンチョノ(Anjang-anjang Kencana=金で編まれた網)を運ばせた。ガトゥコチョの助けで、ボモがチョクロに射られて死んだ時、このプリンゴダニの武将(ガトゥコチョ)がその身体を捕らえ、アンジャン・アンジャン・クンチョノの中に放り投げた。ビダダリたちはボモの死体をカヤンガンへ運び、チョンドロディムコ火山に投げ入れた。
 ボモの死に関しては別のヴァージョンもある。このヴァージョンによれば、ボモを殺すのは自身の父、プラブ・クレスノである。これは、自身の超能力に慢心したボモがカヤンガンを攻撃したので、止むなくなされた。ウィスヌの化身として、クレスノはこの息子の行為を許す事ができなかった。スンジョト・チョクロで彼は殺された。
 ボモが生き返らないように、ボモの身体は宙に浮かぶように保たれた。ガトゥコチョが神々から与えられた網、アンジャン・アンジャン・ストゥラ(Anjang-anjang Sutra)で受け止めたのである。網の中のボモの身体は、ジャムルディポ山の欠片、ジュラン・ブクル・パンガリブ・アリブ(Jurang Bukur Pangarib-arib)の堤に飛ばされた。ボモの遺骸はそこにぶら下がり、再び大地に触れることはなかった。
 ボモの死後、デウィ・アグニョノワティはソムボと結婚した。
 ダランの語る物語では、ボモはしばしばガトゥコチョと争う。彼らはワフユ・セノパティ(Wahyu Senapati)を奪い合い、ボモはガトゥコチョとの競争に敗れる。
 この時、ボモは祖父サン・ヤン・オントボゴと父プラブ・クレスノの後ろ盾を得た。サン・ヤン・オントボゴまたの名サン・ヤン・ノゴロジョはカヤンガンへ赴き、ボモにワフユが与えられるように、とブトロ・グルに迫った。ボモは、ブトロ・グルの直系の孫でありまたその超能力も信頼に足るというのがその主張であった。神々によって降下させられるワフユ・セノパティは、バラタユダにおけるパンダワのセノパティ(司令官)の誉れであった。ボモとガトゥコチョの争いは、アビマニュとデウィ・アグニョノワティによって和解させられた。
 ラコン、「ガトゥコチョ・グガ Gatotkaca Gugah」では、ガトゥコチョがカヤンガンを襲ったラクササ王、プラブ・コロプラチョノを斃した功績を認められる。その功績でガトゥコチョは、彼が一日カヤンガンの王となれる、という褒美を与えられた。ボモノロカスロはガトゥコチョの栄誉に嫉妬を覚え、邪魔立てしたので戦いとなった。
 またラコン「ガトゥコチョ・ルブタン・キキス(Gatotkaca Rebutan Kikis=ガトゥコチョの国境紛争)」では、国境紛争からトゥラジュトゥリスノとプリンゴダニの戦争が起こる。プリンゴダニ側はスロトゥルン地域をプリンゴダニ国の一部だと主張した。ガトゥコチョはプリンゴダニの王として、ボモを敗った。

*ボモの活躍するラコン
シティジョの誕生 Sitija Lahir
シティジョ父を尋ねる Sitija Takon Bapa
トゥンゴロノの国境線 Kikis Tunggarana
引き裂かれたソムボ Samba Juwing
ワフユ・セノパティ Wahyu Senapati
ゴジャリ・スト(ボモとクレスノの父子戦争) Gujali Suta

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