ワヤンについて

松本 亮

ワヤンの意味


 ジャワの影絵芝居は土地ではワヤン・クリWayang Kulitとよばれる。ワヤンは影、クリは皮革の意で、一般には水牛の皮に透かし彫りの細工を施された人形を白い幕に投影して物語を展開する舞台と解される。しかしワヤンは影の意にちがいないのだが、その影は土地の人びとによれば、たんに白い幕に投影されるかげをさすのではなく、この世を生きる人間のこころの喜びや悲しみのかげなのであり、その魂のありようを語るのが、ワヤンである。
 じじつ、木偶(でく)人形芝居のワヤン・ゴレも、俳優たちの演ずるワヤン・オランも、白幕に影をうつすものではないがワヤンである。


二つの質問


 私はよくつぎのような二つの質問をうける。その人たちにはなにげない質問のようだが、こたえるとなれば難問である。その一つは白い幕には黒い影がうつるだけなのに、なぜ人形そのものは両面とも極彩色にいろづけされているのか。いま一つは、日本の伝統芸能のなににいちばん似ているのかといったことである。

なぜ人形は両面とも極彩色か


 私はつぎのようにこたえることにしている。第一の質問については、ワヤンはもともと白い幕に影を映して演ずるものではなかったからですよと。つまりワヤンの歴史は記録上十世紀にさかのぼり、十一世紀には著名な長編叙事詩『アルジュノの饗宴』の一節にもその存在が歌いこまれているのだが、当時のワヤンはワヤン・ベベルWayang Beberといい、絵巻をくりのべてかんたんなガムラン音楽を伴奏に、その内容を語っていくものだったのである。このワヤン・ベベルの歴史は長く、十六世紀半ばにも盛んに上演された記録があり、現在でもほそぼそながら上演されつづけている。絵巻のワヤンがワヤン・クリとして登場人物たちが絵から抜けだして独立し、白い幕に投影されるようになったのは、まだ定説ではないが、十五世紀半ばくらいからである。
 絵巻の絵が水牛の皮の人形になってもワヤン・ベベル十世紀の伝統はもろにワヤン・クリのうえにかげをおとし、今日でも上演会場によっては白い幕が壁面にぴったりつけられ、影の側にはまわれず、人形を操作する側が見られないといったことは皆無である。当然、ひるがえる人形は両面ともきれいに彩色されなければならないのである。


ワヤンと日本の伝統芸能


 さて第二の質問にはどうこたえればいいのだろう。日本の伝統芸能の中で何かワヤンに似ているものがあるのか。徹夜の上演だからといって神楽をひきあいに出すわけにもいかない。人形芝居だからといって各地の伝統人形芝居を選ぶわけにもいかない。ワヤン・クリは徹夜の上演であるとはいえ、神社仏閣には無縁であり、語る素材は古代インドの膨大な叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』という、いわば大河小説で、しかも脚本はない。演目には粗筋があるだけで、ダランの語る言葉の細部はすべて即興であるダランは一夜に登場する六、七十体の人形をただ一人で操作し、おなじその人が背後にひかえる二十人ほどのガムラン奏者たちにそのつどつぎの曲の指示を与え、その上ひとりでその夜の語りのすべてを語るのである。訳せば、一夜の即興の語りは四百字詰め原稿用紙二百五十枚ちかくにもなるだろう。
 そこで私はしいていえばそのむかし鎌倉時代に半ば即興で語り演じたという平曲の琵琶法師の仕事に似ているをいえるかもしれないと思う。一見こじつけのようだが、琵琶法師が琵琶という伴奏楽器をガムラン奏者たちにまかせ、彼の前に人形たちを並べれば、本来のワヤンのイメージに近づいてくる。琵琶法師の仕事は『平家物語』を語ることであり、ワヤンにおけるダランの仕事は膨大な叙事詩を語ることである。人形操作や音楽はそれについてくる。
 ジャワの人たちはワヤン見物においてかならずしも人形の動きを見ることを必要としない。彼らはダランの即興の語りが音楽とともに、その夜どんな成果をみせるかが嬉しいのである。人形の動きはよそ目に、寝転がり、また会場周辺をうずめる夜店にたむろし、ときには家に帰って、村中にきこえるようになっているスピーカーの音に耳を傾けるのである。おなじ演目でもダランによって展開も語りも細部も異なる。おなじダランがおなじ演目を二夜つづけて演じたとしても、彼はおなじ細部をくりかえすことはないだろう。
 その物語はきびしい人生のありようを突いている。ギリシア古典悲劇やシェイクスピア作品群のようにはげしい人間の生き方をその魂の底まで掘りさげて、すごい。

*

 ワヤン見物においてはその語りの内容を理解しようとつとめなければ、ワヤンを見たことにならない。ダランはその語りに精魂をこめるのである。

ワヤン人形


 それでもワヤン人形は美しい。ダランによって魂を入れられ、白い幕に影を投じて動くとき、それは水牛の皮によって細工された人形とは思えない。十世紀の伝統をもつワヤンの重みを負い、ことに十八〜二十世紀前半の間につちかわれた中部ジャワ宮廷文化の粋として、ワヤン人形は祖霊信仰を背景とするヒンドゥー教、仏教、イスラム教の理念を負い、その造形、透かし彫り技術、彩色の妙をふまえて、完璧の域にたっしている。動物や武器、乗り物などをふくめれば総数五百はかるくこえるだろう。それらはかならず一灯の火かげで動く。光に近づければぼやけて大きく、白い幕に接すれば透かし彫りが冴える。その単純な遠近法を駆使することにより、影のイメージは妖しくふくらむ。

ガムラン楽器の構成


 青銅製打楽器群を主体として両面太鼓クンダン、二弦琴ルバブ、竪琴シトゥル、笛スリンなどで構成されるガムラン演奏の音色、その曲も洗練を極める。


 グンデル奏者       ガンバン(手前)とスリン奏者     女性歌手プシンデン

時代を呼吸して


 しかしながらワヤンは古風を墨守している芸能ではない。移りゆく時代を呼吸し、つねに新しさを求めている。上演は劇場ではなく、結婚式や割礼の祝いに当家へ招かれてのもので、王宮内から路地裏まで、場所を選ばず催されるが、一夜の展開のうつには社会風刺をはじめ、啓蒙的発言の場面も折りこまれる。社会への影響の重さから、時の政府からの干渉もある。総選挙ともなれば、各政党からの要望もあり、その要望をどうこなすか、ダランの良識にかかわる。ひとたび政変がおこれば彼の身辺は危機にさらされ、ときには殺害され、また島流しの憂き目にもあうだろう。ダランはその語りに生命をかけているといっても過言ではない。
 彼らの時代への即応は語りの上だけではない。かつてワヤン・クリから派生する他のワヤン群を産んだが、ワヤン・クリ自体、ワヤン・ワフユなど多くの別種のワヤンを創作し、また新しい手法が日夜練られている。
 八時間余を要する徹夜の上演が近代生活に則さぬことが問題視され、二、三時間で、ダイジェストではない上演ができないものかと、ワヤン・パダトの実験がすすんでいる。パダトは充実した、の意である。その象徴的手法は斬新な映像を産んでいる。
 またジャワ人にしかわからぬ現行のジャワ語による語りにかえて、公的言語であるインドネシア語による上演への模索がある。多くの実験はどこへ実を結ぶことになるか、期し
て待つべきものがあるといえるだろう。

(松本 亮★日本ワヤン協会主宰)





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